令和6年 臨時総会および新年互例会のご報告 令和6年1月16日
会報34号のお知らせ |
ニチメン大阪社友会の会報最終号となる34号を4月末に発行予定しております。平成19年10月の創刊から33刊を発行してきましたが、今回が最終となります。 尚、統合前の当会ホームページへの掲載期限が3月末となりましたので、現時点で揃っている記事(1月16日にホテル阪神にて開催された総会および互礼会での関係各位のご挨拶)と開催模様の写真をここに掲載します。 |
本年1月16日に臨時総会と新年互礼会がホテル阪神大阪において開催されました。 臨時総会: 当会およびニチメン東京社友会、日商岩井社友会、双日社友会の4社友会の統合の方向性の承認 ( 第1号議案) と当会最終年度決算の方針の承認( 第2号議案) の2議案をお謀りしたものです。 両議案とも出席会員の多数の賛成にて承認されました。詳細は会員の皆さんに送付済みの報告書どおりです。 新年互礼会: 臨時総会終了後、恒例の新年互礼会が開催され会員79名( 役員含む) と来賓6名の合計85名の参加で例年通り盛大に行われました。 |
令和6年 臨時総会 会長ご挨拶 ニチメン大阪社友会 会長 岡崎 謙二
新年明けましておめでとうございます。皆様お元気で、ご参集いただき誠に有難うございます。 扨て、新年早々、能登半島地震更にそれによる津波による大災害、海上保安庁機と日本航空機との衝突という、悲惨な出来事が続いています。また、当社友会でも、昨年9月以降本日現在までに判明した11名の会員の方々が、お亡くなりになられています。 | |
1月10日には、当社友会の初代会長を勤められた田淵様がお亡くなりになられました。ここで、亡くなられた皆様方に対し、黙祷をささげたいと思いますので、恐れいりますが、その場で、座ったままで結構ですので、黙祷をお願い致します。(黙祷) 有難うございました。 これより新年互例会に入りますが、それに先立ち、まずは、昨年より持ち越されてまいりました「統合」に関しての臨時総会を開催し、「皆様にご審議して頂きたいと存じます。皆さまの活発なご意見をよろしくお願いいたします。 昨年の7月4日に双日(株)の藤本社長より、「双日に合併してから、すでに今年で、20年の節目になるので、4つの社友会を統合して貰いたい」との要請を頂き、9月より、統合チームを交え、いろいろ検討を重ねた結果、詳細は未だ未定のところもありますが、最終案を本日皆様にお諮りすることとなりました。当社友会は2007年に716名の会員様の自発的な盛り上がりで、スタートしました。延べ人数で行きますと、936名ですが、それから、ご逝去されたり、退会されたりで、現在は367名と約半数となり、新規入会者もあまり見込めず、徐々にじり貧状態になり、1~2年以内に赤字に転落を余儀なくされるところでありました。正直な話、2019年当時もこの傾向が顕著に表れて来ており、当時かなりの危機感を持ち、各社友会が集まり、相談して、双日(株)に支援金の増額をお願いしようと将に動く直前に、コロナ感染症という予期せぬ事態が発生し、活動を一切休止することになりました。 この予期せぬコロナ感染症により、収入は変わらないが、支出がほとんどストップした3年間という貴重な猶予を貰いました。しかしながら、言っても先が見えて来ており、今後は、会員の皆様にもそれなりのご負担をして頂かなければならないと役員一同でいろいろ検討していた矢先、この統合の話でありました。皆様の中にはいろいろなお考えもあろうかと思いますが、今後続いてくる後輩達にも喜んで社友会に参加して頂き、将来に亘って継続して貰いたいとの思いで我々は「統合」に舵を切った次第であります。 まだ統合の細かな話し合いは続いておりますが、大まかなところがほぼ決まった段階となり ましたので、臨時総会にお諮りし、この方向性の承認と決算までの作業については我々役員に一任して頂きたいとの議案を提出させていただきましたので、よろしくご審議のほどお願いい たします。 | |
令和6年新年互礼会 会長ご挨拶 ニチメン大阪社友会 会長 岡崎 謙二
本日は、お忙しい中、ご参集いただきまして誠に有難うございます。 先ほど開催いたしました、臨時総会で「4社友会への統合」をご承認いただきまして誠に有難うございます。それでは、これよりニチメン大阪社友会としては最後になります「新年互例会」を開催致します。まずは、新年を寿ぎまして、一言年頭のご挨拶を申し上げます。 | |
改めまして、「令和6年 ニチメン大阪社友会・新年互礼会」をご案内いたしましたところ、来賓の方々を含め、90数名の参加希望を頂きまして誠にありがとうございます。 最近の世界情勢を思えば、2019年12月のコロナ感染症に始まり、2022年2月にスタートしたロシアによるウクライナ侵略戦争、更には、昨年勃発したイスラエルによるガザ地区への突然の攻撃、などなど世界は急激に変動しております。更には、今年は、台湾で、先日開票を終え、民進党がからくも、勝ちましたが、今後あの中国がどう出て来るか?予断の許せないところ。更には、ロシア大統領選、アメリカ大統領選、など、世界の動向を左右する可能性のあることが次々と起こって来る予定になっております。その他、欧米各国でも、ウクライナへの支援疲れが出て来ていますが、民主主義を維持するためには、ここは最後まで頑張って頂きたいと思います。金利の動向、それにより為替がどうなるか?株式市場が、現在うなぎ上りに上がって来ておりますが、今後どうなるか?全く予断を許さぬ経済情勢、更にはCO2排出に端を発する地球温暖化問題などが続きますが、是非とも、今年こそは何とか明るい年となりますように、年金受給者である私たちは、ただただ祈るしかないのは、まことに残念であります。 その中でも、双日(株)様のご活躍は素晴らしいものですが、今年は社長交代を断行され、若き指導者の下、益々ご発展を遂げられることを願っております。本日は、双日(株)より常務執行役員の泉谷関西支社長様、他双日の役職員の方々にもご出席いただいており、統合後もいろいろとお世話になりますので、引き続きよろしくお願いいたします。 最後になりましたが、本日、会場にご参集頂きました皆様方のますますのご健勝とご多幸を願い、また、双日(株)4月よりスタートする新双日社友会のますますの発展を祈念いたしまして、私のご挨拶とさせて頂きます。 | |
令和6年新年互礼会 来賓挨拶 双日㈱常務執行役員 関西支社長 泉谷 幸児
ただいま ご紹介に預かりました双日関西支社長の泉谷でございます。 双日を代表いたしまして一言ご挨拶申し上げます。 まずは、新年早々の能登半島地震という大きな災禍により亡くなられた方への心からの哀悼の意を表すとともに、多くの被災者の方々の早期のご快復と現地の早期復興を心よりお祈りいたします。 | |
この災禍を無駄にせず、人間の叡智をもって幸福につなげて行きたいと願っています。 さて、あらためまして 皆さま新年あけましておめでとうございます。 今年は「甲辰」(きのえ・たつ)という干支の年です。物事のスタートを示す「甲(きのえ)」と「竜」(りゅう)を意味する辰年は、「天高く大きな成長と幸運に恵まれる」年とのことです。双日にとりましては 2024 年は新たな「中計2026」がスタートの年であり、皆さまご存じのとおり、藤本社長体制より植村新社長へのバトンタッチとともに、新たな双日の将来を描く門出の年です。思い起こせば、双日として新しいスタートを切ったのが 2004 年 4 月1 日、2024 年はわが社の20 周年という成人の年となります。この20 年の間、多くの課題に正面から向きあい、その時代を担う社員の熱き想いと、諸先輩、OB の皆さまの深いご理解とご支援によって、双日は双日らしくしっかりと成長を遂げています。私自身、統合前夜の経営企画部にいた経験もあり、その当時を思い起こせばまさに隔世の感といいますか、「一念通天」を果たしていると思います。財務体質の飛躍的な改善と果敢な事業投資からのリターンも、しっかりと確認できるレベルになりました。 そして記念すべき20 周年というこの年にニチメン、日商岩井社友会の統合により、新しい双日社友会の門出の年となるという、この歴史的一歩を諸先輩の皆さまとご一緒できることを大変幸せに思います。また本日が最後のニチメン大阪社友会 新年互礼会となりますが、今まで本会をまとめ上げてこられました 岡崎会長を始め幹部、関係者の皆々様のご尽力に敬意を表し、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。 世界を見渡せば、今年は主要なる国家でその代表を選ぶ選挙が控えていますし、地政学的なリスクは益々深刻さを深めています。まさに不透明・不確実な環境が続く可能性は高いわけですが、今、最も大事なことは、日本人が日本の良さをしっかり認識して、世界の中でも日本人だからこそできることをしっかりやっていく、私は、これしかないと思います。あの羽田空港で起こったJAL 機と海上保安機事故における、379 名の救助の奇跡は改めて、この民族性の高さを示していますし、世界の中の日本の役目を感じました。歴史的にも、如何なる災禍に対しても、その環境に順応・適応し、自ら変化していく「しなやかさとしたたかさ」をもって、しっかりと根を張り花を咲かせてきたのが日本であると私自身は大いに誇りに思っています。 そして、商社という日本固有の事業組織が、世界からその価値と存在を認められ各社ともに大きく評価を上げています。伊藤忠も時価総額10 兆円超えの仲間入りを果たしています。双日もぜひまずは 1 兆円超えとPBR 1 倍を達成し、中計2023 でお約束したすべての経営指標の達成を果たしたいと思います。のぼせることなく、真摯に誠を尽くし、今からも「たゆまぬ変化への挑戦」により、まさに持続的な成長を果たす生命体でありたいと思うわけです。 今年を歴史的な節目の年と位置付け、そして2030 年、2050 年に向けて大いに双日の成長の軌道を示し、今年もOB の皆さまと高い配当を期待したいと思います。 最後となりますが、本日ご来場の皆さまとご家族のご健康とご健勝を祈り、また新たな双日社友会の益々の発展をお祈りしまして、簡単ではございますが私のご挨拶とさせて頂きます。 ありがとうございました。 | |
乾杯の音頭と挨拶 双日株式会社 顧問 田 中 勤
私は‘81 年に入社しました。当時はニチメン實業の名前でした。その後ニチメンになり23年間、双日で20 年と合樹役員3年間を商社に働けたという思いがあります。本日も諸先輩方のいろいろとお話されました今回の統合の件は、いろいろご意見もあろうかと思いますが、やはり統合してきな人数となってそして双日という会社のもとで皆さんとコミュニケーションよくやっていけたらと思っております。 | |
今年もいろんなことがあるのでしょうけど、まずは皆さまのご健康とご多幸そして双日の益々の発展を祈念しまして乾杯をしたいと思います。 それでは皆さまよろしいでしょうか、乾杯!! |
米寿のお祝い
慶祝者目録贈呈ご挨拶 ニチメン大阪社友会 会長 岡崎 謙二 | |
それでは、恒例によりまして、本年、目出度く、99歳の白寿を迎えられる1名様と88歳の米寿をお迎えになられます29名様に対し、お祝いのセレモニーを開始します。皆様とともにお喜びを申し上げたいと思います。皆様方が、これからもますますお元気でお過ごしいただき、米寿の方々も、次回の白寿をお元気で、迎えられることを願っております。 |
お祝い御礼のご挨拶 ニチメン大阪社友会 米田 信一 | |
本日のニチメン社友会は最終回となるそうでこの記念すべき社友会において米寿になるメンバーの代表として御指名により御挨拶をさせて頂く機会を与えていただきありがとうございます。 私の個人的なニチメンとの関わりを簡単にご紹介させていただきます。 | |
私は親子2代にわたり約95 年間をニチメンとすごさせていただきました。 父親は大正13年に日本綿花に入社致しました。何故日本綿花に入社いたしましたかと申しますと当時日本綿花の第7代社長をして居られた喜多又蔵氏は父と私の郷里奈良県御所市の出身であったからです。日本綿花は当時日本一の綿花商で広く海外に雄飛していた日本有数の貿易商社であったからです。喜多又蔵氏は第1次世界大戦のパリ講和会議に日本全権として派遣された西園寺全権団の財界代表として関西財 界から1 人選ばれた著名な財界人でした。 父は入社と同時に当時のオランダ領東インド、今のインドネシアのジャワ支店に23歳で駐在しました。私も父と母に連れられて2歳から5歳まで日本綿花スラバヤ支店で過ごしましたが大東亜戦争が始まる昭和15 年6月に父を残して一足先に母と帰国しました。 今でいう帰国子女のハシリです。 父は大東亜戦争が始まると同時にオランダ軍に捕虜として捕まりオーストラリアやアフリカのマダカスカル島まで連れまわされ、昭和17 年に捕虜交換で帰国しましたが昭和18 年に社命でニチメン青島支店長として再度渡航しました。昭和20 年8 月の敗戦と同時に八路軍の捕虜となり戦後2年間は行方不明でしたが突然私が小学生の時に帰国しました。当時の日本綿花は500 名にも上る復員社員を一人も首を切らず全てを受け入れましたが戦後の2-3 年は皆、鍋やカマや唐傘を売って無給で働いたそうです。 昭和26 年の朝鮮戦争勃発と同時に突然景気が回復しニチメンも糸へん景気の恩恵で大変好況になりましたので給料も復活しました。当時ニチメンは日本綿花から日綿実業と名を変えて日本一の貿易商社に復活しました。ご存知のように当時の占領軍の財閥解体で三井物産、三菱商事等は10 程の会社に分割され当時のニチメンは日本一の貿易商社になっていました。 私も父と同じ道を選択し昭和37 年にニチメンに入社し機械部電気課に配属されましたが、私もドルを稼ぐ企業戦士として1967 年にアメリカ、シカゴ駐在員として万歳三唱で送りだされました。それ以降シカゴ駐在員を3度繰り返し最後の5年間、1990-1995 年はニチメンシカゴ支店長として米国ニチメンの収益に大きく貢献出来ました。収益源はFord,GM などに売る純正カーステレオ用カセットデッキが大変儲かったからです。最初の駐在5年間は1ドル360 円時代でしたので、500 ドルを持ちだすのにヤミで1ドル500 円でドルを手当てしてもらったのを覚えています。当時のアメリカ駐在員は皆貧乏で私も月給460 ドルで秘書のアメリカ女性よりも安い給料でしたが、それでも日本の社員の3倍も給料を貰っているのだから24時間勤務だと言われ≪必死で働いたのを覚えています。 今こうして親子2代約95 年間をニチメンにお世話になり、運よく今年88 歳の米寿を迎えさせていただいたのも親子二代にわたる約95年間もニチメンのお世話になった御蔭と感謝している次第です。 この長月会をルーツとするニチメン社有会も今回で終わりになると聞くと残念でなりませんが、最後に今まで秘中であったニチメンと日商岩井との合併秘話に振れさせて頂きたいと思います。合併から10 年間は秘中の秘でしたがもう喋っても良いと思います。合併のあった2001 年当時は日岩もニチメンも決算が出来ない債務超過寸前でした。ニチメンも創業の地 中之島本社ビル等すべて売りつくし何も残っておりませんでした。そこで眼を付けられたのが電子情報本部の4子会社でした。その中でも田中長典さんが起業された携帯電話を販売するニチメンテレコムの企業価値でした。テレコムの企業価値が当時約1000 億円あったのでそれを売却して430 億円を捻出し債務超過を解消しようとしました。430 億円の大半はテレコムの企業価値でしたので渡利社長は田中さんに売却に同意するよう説得に掛かりました。田中さんも必死に抵抗されましたが、渡利社長に平身低頭されついに売却に同意されました。 当時私の属していた東京電音もその中の一つで当時JASDAQ に上場しておりましたが電子情報本部の若手社員を約60 名ほど引き受けました。 しかし電子情報本部が消えてなくなることと電子情報本部の若手社員が皆ニチメンを去らねばならないことに田中さんは必至に抵抗されましたが当時の渡利社長に平身低頭されついに同意されましたが渡利社長はこのことは10年間は絶対に口外しないようにと田中さんに申されたそうですが今となっては合併以来二十数年以上も経過し今回公開することも田中さんと合意し今日ご披露することにした次第です。 話が長くなりましたが、それでは皆さん御元気で米寿の次の卒寿を目指して頑張りましょう。 | |
以上 |
米寿を受けられた皆さんからの礼状 ご紹介 |
本日米寿のお祝いをいただきました。 御礼を申し上げます。 明日の互例会に出席させていただく予定でしたが、急用ができ欠席となりました事 申し訳なく思っております。 皆様によろしくお伝えください。 まずは御礼まで。 |
= 津田 和男 = |
心温まる米寿祝受け取りました。ありがとうございます。 米寿を迎え足腰の衰えは避けようもありませんが何とか自立生活を送っています。 残り少ない余命心安らかに送りたいと思っています。 |
= 安森 敏博 = |
米寿のお祝い金慎んでお受け致します。 ニチメン大阪社友菓子の今後の発展と役員皆様の御多幸と御活躍をお祈りいたします。 |
= 高木 啓志郎 = |
この度は米寿を、迎えるにあたり長寿のお祝いを頂き厚く御礼申し上げます。 5月にはささやかながら内祝いをする事になっており子供や孫が集まるので楽しみにしております。 寒さ厳しい折からくれぐれもご自愛ください。 |
= 池内 孝文 = |
寒気もいちだんと厳しさを増した今日このごろ いかがお過ごしでしょうか。 この度はお心のこもった米寿のお祝いを頂戴しまして誠に有難うございます。 まずは略儀ながら書中をもって御礼申し上げます。 |
= 塩見 宗太郎 = |
この度は思ひもよりませぬ長寿の御祝いとして誠にありがたき御品を賜りまして感謝の極みでございます。 顧みますと昭和三十七年 日綿實業株式会社に入社を許され 財務部十年、沖縄支店二年半(当時沖縄国際海洋博覧会開催)その後審査部へ、二番目の会社は大和紡績の子会社へ、こちらでも審査関係の仕事を十年間携わりました。 兄は小生と同期であります林 靖様の後を引継がれました。 多様な局面にもかわりませず見事に重責を果たしておられます。その万分の一を思い頭が下がります。改めまして一月十六日頂戴いたしました目録を再度三読させていただきまして感慨無量でございます。 寒暖の差増々厳しい今日この頃、兄におかれましては、さらにご自愛一倍下されます様 心よりお祈りいたしております。 |
= 山木 信一郎 = |
新年互礼会 アルバム ※ 画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます
令和6年 新年互礼会参加者
1.来 賓 | ||||||
双日株式会社 | ☆ 出席者数 ☆ | |||||
1 | 泉谷 幸児 | 常務執行役員 関西支社長 | 来 賓 | 6名 | ||
2 | 高濱 悟 | 常務執行役員 株式会社JALUX代表取締役社長 | 会 員 | 63名 | ||
3 | 岡村 太郎 | 執行役員 | 世話人 | 16名 | ||
4 | 田中 勤 | 顧問 | 合 計 | 85名 | ||
5 | 岡田 大輔 | 人事部長 | ||||
ニチメン東京社友会 | ||||||
1 | 新藤 孝 | 副会長 |
2.会 員 | |||||
1 | 市川 恭平 | 22 | 末信 楯次 | 43 | 藤澤 由紀子 |
2 | 石黒 佐知子 | 23 | 杉本 潤 | 44 | 藤田 康弘 |
3 | 市礒 正夫 | 24 | 杉山 文子 | 45 | 廣岡 義夫 |
4 | 市田 謙治 | 25 | 高道 利夫 | 46 | 萩原 捷一郎 |
5 | 稲治 寿 | 26 | 高橋 正 | 47 | 前田 和代 |
6 | 井上 行芳 | 27 | 田中 三郎 | 48 | 牧野 健治 |
7 | 井上 裕 | 28 | 宅 哲男 | 49 | 村松 正司 |
8 | 今井 健児 | 29 | 谷 裕子 | 50 | 三浦 秀信 |
9 | 上房 康成 | 30 | 龍田 いつよ | 51 | 美川 広則 |
10 | 大場 俊雄 | 31 | 靏井 義子 | 52 | 溝口 正子 |
11 | 小笠原 功 | 32 | 辻山 隆博 | 53 | 三宅 通方 |
12 | 越智 隆 | 33 | 辻川 洋 | 54 | 宮永 大助 |
13 | 川田 英之 | 34 | 徳永 万里子 | 55 | 八木 郁充 |
14 | 金谷 安勝 | 35 | 殿護 隆司 | 56 | 矢嶋 正孝 |
15 | 菊澤 淳 | 36 | 中山 温亘 | 57 | 柳田 麻千子 |
16 | 米田 信一 | 37 | 永山 克彦 | 58 | 山野 ひろみ |
17 | 小上馬 昭雄 | 38 | 野田 稔 | 59 | 山村 保 |
18 | 内蔵田 卓 | 39 | 濱田 正 | 60 | 山邑 陽一 |
19 | 澤井 昂三 | 40 | 橋本 典子 | 61 | 横田 穣治 |
20 | 澤山 操 | 41 | 廣岡 松治郎 | 62 | 吉本 邦晴 |
21 | 新家 世津子 | 42 | 藤崎 恭典 | 63 | 四ツ碇 明也 |
3.世話人 | |||||||
1 | 伊豫田 哲 | 5 | 千束 恒夫 | 9 | 林 喜久雄 | 13 | 森 慈郎 |
2 | 岩木 直純 | 6 | 龍田 誠一 | 10 | 日野 育子 | 14 | 吉岡 辰雄 |
3 | 岡崎 謙二 | 7 | 西田 恵美子 | 11 | 藤井 利雄 | 15 | 吉田 修一 |
4 | 阪上 剛 | 8 | 畑 邦子 | 12 | 松下 和生 | 16 | 渡邉 康 |